9月に入ったら、あれをやろう、これをやろう。そう思っていたら既に一週間経っていました。

思い返せば、8月になったら、夏になったら、と思いながら、やれていないことがたくさんあります。きっとこれからもそうしていくんだろうと、吉田拓郎の歌を思い出しながら、考えてみます。

これを達成した。あれを完成させた。といった感情は割と一時的なもので、やれなかったというネガティブな感情のほうが後に残るというか、歯に引っかかた小骨のように、心をザワサワさせてしまう。このあたりのコントロールが上手い人もいるでしょうが、舌を伸ばしてひょっとこのような顔をしながら取れないなー、爪楊枝で対処しようとしてもうまく取れないなー、取れたとして指についた小骨の行き場所に困る、、、といった具合の厄介な感情です。Webで検索しようものなら、関連書籍を「買え、買え」と広告が迫ってきて、なんともやりきれない。

惰性で過ごしてしまった、という言葉がありますが、今だに印象に残っているのは、高校時代だったかな。年末の街頭インタビュー。その年のニュースステーション最後の放送ということだったと思うんですが、おそらく新橋あたりだったのでしょう。サラリーマンに
「今年はどんな年でしたか?」
という問いかけ。バブル終焉の頃とおもいますが、
「なかなか厳しい年でしたね」「子供が成長して云々」という答えのある中で、ある男性が

「うーん、今年も惰性で過ごしてしまいました」

と答えたんです。
当時は大人になるとそんなもんか、オレには受験があるしな。などと思っていましたが、仕事を初めて年末になると、このインタビューを思い出すんです。自分は惰性で過ごしていなかったか、と(だいたい惰性で過ごしていますが)。そして、この回答に対して、久米宏が
「最後のねぇ、惰性で過ごしたという男性、、、これは、、、染みますねえ」
と言うような感想を言って、この年のニュースステーションは終わるんです。何というかっこよさ。

9月に入ったら、10月になったら、と言いつつ、惰性で過ごしていく気がしています。

SL広場。最近、新橋に飲みに行ってないな。